いつかやろうと思っていた。
誰かに会えば必ず「教育に関心がある」と言っていた
人生で一番お世話になったと感じる人が誰かといえば、12歳の時に中学受験のために通っていた塾で数学を教えてくれていた先生だ。僕は結構好奇心旺盛な子供で落ち着きがなかったので座学なんて合わないと親に思われていたらしいけども、その先生の講義を聞いていて思いっきり算数が好きになった。
中学の時にすでに将来の夢が「塾の講師」ということを言っていたのを覚えている。先生の影響が強かった。でも、そのあと高等教育とやらを受けるに従って、特に経済学を学んでからというもの「システム設計」が肝で、適切なシステムを設定するとみんながうまく動いてくれるからそういう社会システムを構築する側に回らなければならない。という考えになるようになった。
しかし、自分の教育に対する関心というものは尋常ならざるものがあって、これがライフワークとならないのであれば本当に仕事に打ち込んでいいものを作れるのだろうか?と自問自答する日々が続いた。
しかも僕は、人類の知のフロンティアの開拓をしたいのではなく、より多くの人が教育を受けられる社会にしたいのだということにも気がつき始めた。
そこで、始めることにした。人生で「これをやる」と言ったものに取り組んでみることにした。今まで自分が「やらなければならない」としてやっていたことは精神的ストレスや負担が強かったが、自分が心から価値があるものだと思えることをやることはこんなにも楽しいのかと毎日驚かされている。
民の立場から関わることを選択した
福沢諭吉の学問のすゝめを読んだことは自分に今でも影響を与え続けている。過去にそんな記事書いたので参考にして欲しいんだけれども、
ぼくはやっぱり
「自分がいいと思ったものを自分で責任をもって作ってみる」
という体験が少なかったのだと思う。そしてこれが自分がしたいことでもあり、挑戦でもあると思う。今人生で一番リスクを取っているなと感じる。
それなのに毎日のように活力が生まれてくるのは、
「絶対に価値があり、世の中にとって意義のあるものになる」
という確信だ。
そして、もし同時に「やったほうがいいのではないか」というものをいつまでも棚上げにせず、「やってみて評価している」という段階にいるせいだと思う。
今何の負い目もなく没頭している。
ぼくはこういう時間が好きだし、こういう生き方をし続けていきたい。
自分がいいと思うものをどんどん作って、本当にそうなのかどうかの確認作業。これの繰り返しをしたい。
いつかやろうと思っていたことが今やれている幸せ。
これが生きがいやな。