時間をかけてでも、疑問に対しては答えを用意すべき

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友人とそれ以外の大きな差は「駆け引きをするか」どうかだと思う。友人といるときは適当なことも言うし、真面目なことも言う。でも結局相手とのいる時間が楽しいから多少のすれ違いなんかは全く気にし無いし、それでいいと思える。

一方で、友人では無い知り合い、特に深く仲のいいわけでも無い人間とは意識せずとも駆け引きをしてしまっていると感じる。それは、相手と仲良くなるためなのかと思うとそうでもなくて、ある種の自分を作って相手と関わっている。自分と相手以外に「立ち位置」とか「役割」と言ったものを備え付けた上で会話をしている。

そういう駆け引き、苦手では無い。むしろ得意な方なんだと思う。だけど、できるだけやりたく無い。そういうことしているときの自分自身が嫌いになってしまいそうになるからだ。こういうところが不器用な人は多分会社とかではのし上がっていけ無いんだろうなと思う。いや、のし上がっていくのに本心だけで出来るならそれは天才だと思う。

 

人を心から頼るときって本当に心地がいいと思うんだけども、利害関係の延長で相手を頼ってしまうとき自分は果たして相手に何を与えることができるのかと思う。だから、駆け引きをしていく中で自分が相手に与えられるもの(立場)を提示しているのかなと感じる。

信頼関係の構築は、こういうところ以外でなされるべきだ。利害関係とか、そういう雑音が入ると心からまかせることも、心から握手することもできなくなってしまう。これに時間が必要というわけでは無い。会ったその日に本音を言えるときもあれば、6年たっても建前で生き続けているときもある。この差はなんなんだろうか?

 

それが、合う合わないなのかもしれない。人間性もそうだし、自分の心がオープンになっているタイミングという意味でもそう。多分そういうときに出会った気の合う人には本音で話し始めるおかげでいい人間関係もできるけど、自分が必ずしも心を開いていないときに無駄に人間関係広げようとしてもあまりうまくいかないのかなと思う。

 

そういう意味では、自分の心をできるだけ開けれるようにしなくちゃいけない。日々頭の中で巻き起こる「疑問」とか「理想と現実」に対して、答えを用意しなくてはいけない。散歩をしながら心ここに在らずと言った瞬間は何度もあった。

暫定的なものでいいのだと思う。一時的にでも、今の自分を安定させ、いい方向に向かわせる何かを常に用意してあげること。「こういう状況だったらいいのに」とおもうのであれば「その状況を作ろう」とか「本当にそれが自分の願いなのか」ということを、簡単に無下にせずしっかり時間を使って吟味して、その上で答えを用意する。

 

そうしないと、意見のない人間になってしまう。意見をしっかり持って、例え相手と対立したとしても自分の中の答えを一つしっかり掲示していく。そういうことができなければ、無駄な言葉遊びをする。

 

こういうところ、なおさないといけないなと思う。