「好きこそものの上手なれ」というけど、好きなことだったら本気でもうやってるはず

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 大学に入ってから「自分は将来何をやるのか」というのを茫漠と考える時間が増えた。常にこの問いは消えなかったが、勉強をしていればその答えに近づくと思ってとにかく勉強をしてみた。

 しかし、大学3年4年と時が進むにつれて、答えを要求されるようになった。自分の中では数学をやってみたいというのが少しあった。ゼミの先生に相談したところすぐに「やめておけ」と言われた。今ならわかるけども、その時は結構反論した。その時に言われたことが

「もし本当にやりたいことであるならば、すでにやっているはず。やっていない時点でそれはやりたいことではない。」

だった。この言葉は当時の自分にはかなり重くのしかかった。

 

やりたいこと、自分がすでにやっていてそのなかでやりたいこと。

自分にはそれがない。ないから探した。そしてそれもどうやら違うらしい。

 

自分の中に明確な答えのないまま、それまでは閉じこもっていた環境から一歩外に出て人の話も聞こうと思った。

官庁訪問をしたが、話していく中で自分は官僚という仕事に強く興味を持った。世に言うイメージではなく、生の彼らは信念に燃えた人間の集まりだった。自分の好きなタイプの人物像がそこにはいた。しかし、官僚の道を選ぶにも自分には時間がなさすぎた。ことの成り行きに身をまかせるのは、短期では好きでも人生計画の長期では嫌いだ。焦りたくない。

 

大学院に進学した。官僚と会う中で、彼らの仕事を外部から支えるのは研究職とか分析だと感じた。議論の元となるデータに関しての専門家も楽しそうだと感じたからだ。その中でもいろんな出会いがあったが、一つも残らず刺激的で、かつ自分に

「諦めと気づき」

を与えるのには十分なものだった。

1年目に面食らってから、8月末に就活をやってみた。外資コンサルタントインターンシップに行った。自分は「他人がうまくいくために考える」ことが好きなんだと思う。根本的に自分の性格は「サポーター」なんだと思っている。だから、コンサルタントという仕事は経営のサポートをするってことで、それは自分に合っていることなんじゃないか。そう思って門を叩いた。

正直、あってみると勝手に思い描いていたような人たちじゃなくて、気さくでいい意味で普通の人たちだった。ただ、頭はいいとは思ったけども賢いとは思えなかった。それは単純に自分の仕事に対する嗜好と彼らのそれが食い違っていたからだと11月に気づいた。

 

彼らから内定のオファーがあったのは12月のことだった。

人生で人に求められたことは二度目。せっかくの機会だと思ったし、非常に悩んだけども2週間後に断りの電話を入れた。

 

僕は仕事をしたあとに、相手の屈託の無い笑顔が見たい。仕事をしていないので真偽は不確かだが、コンサルという仕事は期待値をコントロールするところにあると感じた。それはどこかでごまかしが入るし、自分もそれに対して全力をかけることができるとは思なかった。

自分の中の「好きなこと」を形成するのに3年以上かかった。自分は、人生最大の関心事を、やはりあの先生が言っていたように高校時代から継続して行っていた。その関心ごとができないのであれば、自分の人生は自分にとってやはり死んだも同然だと思う。

 

好きなことを見つけられなくてもがいている人は、自分が何に対して本気になれるか振り返ってみるといいと思う。もしそれ以外を本気でやって失敗したら、悔いても悔い切れない。僕にとってそれは教育以外の何物でもない。もし自分が解決したい教育問題に携われるなら、僕は全力になれる。それは、今までもやってきたことだった。だから僕ならできると信じられる。