大学4年生の時、進路に一瞬だけ官僚という選択肢が急浮上した話。⑤ 人事院面接編
凄い人に出会った
2次試験を終えてよくわからに手応えだったが
自分が書きたいことを書ききったこともあり
これで不合格でも全然いいなって感じだった。
あとは人事院面接があるらしい。
なんかここはさほど差がつかないって聞いていたので適当にやるかー。
そう思っていたときだった。
僕にとって非常にいい出会いがこのあと待っていた。
2次試験を終えたことを聞きつけて周りで応援してくれていた人が
学内で公務員講座を取り仕切っている先生に会うといいとアドバイスしてくれた。
僕はあまり乗り気ではなかった。
というのも「公務員になれ」と言われるのが溜まらなく嫌だったからだ。
僕はあくまでも自分なりの考えがあってこの試験を受けた。
前までの記事では触れていなかったことでもあるけども
「後輩のため」と思って受けていた。
というか、先輩から受験を説得された時一番動かされたのは
「お前が受けることでこれから総合職を目指す後輩がその道を歩みやすくなる」
ということだった。
個人的に大学には様々に意味で感謝していたし、後輩は好きな方だ。
できるだけ自分より年下の子が頑張る分に関しては応援したくなる。
もちろん自分の力試しの範疇で、それがかなうのであればという感じだったので
「僕自身が官僚を目指す」ということは毛頭考えていなかった。
だから、学内の公務員対策を取り仕切っている先生なんてあいたくない。
あっても何か意見を押し付けられるんじゃないかっていう穿った見方で
だけどもまわりの好意をむげにするのも申し訳ないしで
とりあえずあうことに。
名目としては「人事院面接対策」だった。
正直な話、この時点で国家総合職を受験をしていることにかなり悩むところがあった。
① 真面目に対策してきた人がいる中、中途半端に受けていいのか
② サポートの期待には進路として考えてない時点で結果的に裏切ることになること
がその主な理由だ。
僕が仮に合格することになれば
それは今まで努力した人の席を一つ奪ってしまうことになる。
情熱を持っている人かもしれない。
頑張って頑張ってやってきた人かもしれない。
まだ合格がでてないものの
「仮に」そうなった時に自分が耐えきれるかどうかがすごくうずまいていた。
この日出会ったその先生との話は敢えてしないことにしますが、この人にであったことで僕は「自分が信じる道を突き進んでみよう」という気になりました。僕が悩んでいた上記のような悩みに的確に答えを出してくださり、また面接に関しても「絶対にウソをつかず、等身大の自分でいどんでみる」という非常に大事な勉強をさせてもらいました。
この先生には今でも感謝していますが、僕はこのときから
「今自分がやっていることの結果を何らかの形で還元する」ということを胸にこの国家総合職の試験にいどむ心変わりとなった。
人事院面接
今までの受験とは打って変わった日となった。人事院面接の前に面接カードという物に記入するが、そこには一切の誇張無く、自分がやりたいこと、興味のあること、その中で「官僚という立場」で最もあってそうな省庁を第一志望に選んだ。
僕が第一志望に選んだのは文科省だった。
様々な感情があったけどもここでは面接の内容をできるだけ細かく話す
以下は、面接時のことで僕が記憶している限りをできるだけ思い出して書いてみる
面接官は3人いたのでA,B,Cとする。あと僕は一番最後だった。
面接スタート
僕:「よろしくお願いします!」(結構ハキハキと)
面接官 B :「よろしくお願いします。どうぞおかけください。」(笑顔で)
僕:「ありがとうございます^^」
面接官B:「○○さんですね。今日はよろしくお願いします。早速ですけども、大学時代に頑張ってきたことなどをお聞かせ願いますか?」
僕:「はい。僕は大学時代、専門科目である経済学と英語を頑張ってきました。それにほとんどの時間を費やしました。経済学に関しては面接カードにも書かせてもらったように経済学検定試験のを一つの目標に、英語では交換留学を目標にやってきました。」
面接官C:「ほー。経済学検定試験っていうの結構優秀な結果残してるね〜。あんまり詳しくないんだけどこの試験ってどれくらい難しいの?」
僕
「え〜〜っと…。ん〜。択一ですから〜…。」
面接官C
「あっ、国家総合職とどっちの方が難しかった?笑」
僕
「あっ!それなら経済学検定の方が難しかったです!」
面接官C
「ということは(総合職の)試験簡単だった?笑」
僕
「そうですね笑」
(面接官全員爆笑)
面接官B
「なるほどなるほど。あっ留学にも行かれていたと言われましたよね?どうでした?」
僕
「留学に関しては実は海外にでたのがそれが初めてで非常に新鮮な体験でした。
目的としては向こうの大学で日本の大学では学べないことを学ぶことなので
図書館の籠る時期が続きました。
そのなかでも現地の人や留学生と関わると文化的な相違とか味わえて
なんと言うか1個人としての自分を振り返るいいきっかけになったと思っています。」
面接官B
「なるほどなるほど。いいですね。
んー。○○さんは周りの人からどんな人間だっていわれますか?」
僕
「そうですね。真面目なんだけどはっちゃける。ですかね。
勉強とかで熱中すること多いんですけど
オンオフの切り替えが激しいことと
今話していてもお分かりかと思いますがフランクな性格です笑」
面接官B
「みたいですね。笑 どうですか、Aさん何かありますか?」
面接官A
「君、文科省を第一志望にしてるよね」(怖い顔をしながら)
僕
「はい。」
面接官A
「日本の教育と君が行ったイギリスの教育。どっちが良いと思う?」
僕
「イギリスです。」(かなりの即答)
面接官A
「なんで?」
僕
「あくまでも一個人の体験談ですが僕は留学した先の大学で数学科に在籍しました。
正直日本よりも簡単だったので現地のメンバーにも勉強を教える機会がありました。
その中には結構数学が"できない"人が多かった記憶があります。
だから僕は
”なんで数学科に入ったんだろう?”
と思い彼らにその理由を尋ねてみました。
その時彼らは
”だって面白いじゃん!”
とにこやかに即答しました。
日本の大学で、そういう学生がどれだけいるでしょうか?
僕はこの時
”できるできない”よりも
もっと重要な教育の使命を感じた気がしてなりませんでしたし
日本においてもそうあるべきだと思いました。
答えになってますでしょうか?」
面接官A
「うん」(笑顔になった)
面接官A
「もう一つ聞きたい。君が文科省に入ったらどうしたい?」
僕
「まず、近々国家総合職の試験にTOEFLが導入されるという話を聞きました。
現在日本のグローバル化が唱えられる中で
英語教育や試験などの導入に関してはどんどん話が進んでいくと思います。
ぼくは大学時代留学にいくためにTOEFLを必死に学んだ一人でもありますし留学体験があります。
そういう視点から
”今後の試験導入が妥当かどうか”
や
”日本の英語教育”
に関する部分に関してまずは関わっていきたいと考えています。
しかし、目標としては20年後30年後どういう日本像を持っているかです。
僕は20年後30年後、自分の国である日本がよりヨーロッパや米国のみならず
世界中の国々と今よりも高いレベルで交流していく国であってほしいと願います。
近隣諸国との外交問題を解決していく人や
日本国内にいまだ残る歴史的に複雑な問題などにも対処していける人材が必要です。
その人材育成の基盤となるのが教育です。
僕は1mmでもその目標に近づくための仕事を為したいです。」
面接官B
「なるほど。○○さんの考えが分かりました。楽しい時間をありがとう。
以上で面接は終了になります。」
僕
「ありがとうございます。決して社交辞令ではなく僕も楽しい時間になりました。」
ドアを開けて失礼しますと言おうとして、ふと気づいて
僕
「そういえば、僕が最後でしたよね。笑
一日中本当におつかれさまでした! それでは失礼いたします。」
2次試験・結果
自分のいいたいことを言い切った面接だった。
もう結果はどうなってもいいなと思っていた。
国家総合職は自分の受験番号でネットでまず合否が分かる。
大学の授業直前に結果がアップされていてみて見ると、合格だった。
2ヶ月間でいろいろあったけども、純粋に嬉しかったことを覚えている。
官僚の人たちのすごさや国のためにいい仕事をしている事を見て
それを志す人たちのサポートをしたいなとここら辺からうっすら考え始めた。
しかし、自分にとって本当に思いがけず、大変なことがそのあと起きた。
その日、家に帰ると通知が届いていた。
合格通知なのはもう知っている。
「嬉しいな。」
「記念にしよ。」
とか思いながらアパートの階段を登って
部屋の鍵を開けて
それで電気つけてめくってみたら
そこには合格者が約250名いるなかで
僕の席次が一桁であった旨が書かれてた。
率直な感想
このときのことは昨日のことのように覚えている。
自分自身大学受験時に思うような結果を残せなかったこともあった。
その中で国家総合職の席次一桁について
この時それがどういう物か知らないわけではなかった。
僕は大学時代を経済学と英語に捧げた。
本当に捧げた。
その結果として
力試しとして受けたこの試験での結果に人生で味わったことのない衝撃を受けた。
正直
ぐらいの思考しかできないくらいにテンパった。
頭の中グッチャグチャでよくわかんなかった。
もちろん、嬉しかった。
けども、本当にこの大学時代にであった数多くの人のおかげだなとも感じた。
その結果を持って一つ考えなくては行けないことがあった。
官庁訪問だ。
⑥ 最終話 に続く…